中学からは、行かなければ...
今回の記事は、私の過去の一番核となる部分なので少々時間がかかりました。
ブログを書いていて思ったのですが、元不登校児のブログがなぜ少ないか分かった気がします。
トラウマや辛い過去を思い出すのは、想像よりも過酷な作業でした。
メンタル的に安定している時期、または過去に囚われて前に進めず、気持ちを整理したいときじゃないと更新は難しいなぁと感じました。
なので、のそのそ書いていこうと思います。
本題に入りますが
小5~6まで不登校をしていると、みんなより勉強や経験が遅れていることに焦りが生まれてきます。
本当は行かなくちゃいけない...友達とも会いたい...そんなことを毎日思いながら
漠然と中学からは絶対に行こうと頭の中で思っていました。
でも、母親になんて言えば良いか分からなかったのと、
本当に行けるか自信がなかったため入学式ギリギリにしか言えなかった気がします。(10年以上前のことなので、記憶が曖昧ですいません)
夜はいつも母親と犬の散歩をしていたんですが、その帰り道に、
意を決して「中学からは行こうと思う」とぽつりと言いました。すると母は
「は?何でもっと早く言わなかったの?」
制服も準備していないし、時間が足りない、どうせ行ってもしょうがない...小学校行けなかった奴が中学に行けるはずがない。
とまあ、とにかくボロカス言われました。
母は応援してくれる、喜んでくれるとばかり思っていたので、
悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
「よく決心したね^^」とか「中学からは頑張って行こうね!」って言って欲しかった。
そのとき私はこう思いました。
(なぜ、普通の母親のように学校へ行くことを喜んでくれないの?)
喧嘩して、行ける自信をすっかり失ってしまいました。
追い打ちで当時仲良かった子に、「おこめちゃん、中学の入学前説明会なんで来なかったの?」
と言われ、入学前の説明会があるのも教えてもらっていなかったことを知るのです。
ここで私の中で何かがプツッと切れて、怒りが爆発。
せっかく、みんなの輪に戻れるかもしれないチャンスだったのに...
この日を境に母親への信用を失ってしまい、毎日口論するようになってしまいました。
母親の言葉が私の人生で最大のトラウマ。
この日の出来事は高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、定期的にフラッシュバックするようになりました。
他人が聞くと、そんなことどうでもよいことなのかもしれないですが
恥ずかしながら、何十年経ってもこの事を根にもってしまっています笑
感受性が強い時期に言われた言葉っていうのは結構覚えてるものなんですかね。
今思うと別に入学式行けなくても途中から行けば良いじゃんって
保健室登校とかもあるし、別の中学に転校させてもらうという手もある。(これは却下されたのですが)
大人になった今は、ああ言ってやれば良かった、こうすれば良かった...の無限ループです。
私は人生で後悔する時間に何時間費やしているのだろうかと、よく思います。
行けなかったのは自分のせいだし、その言葉に反論できなかったのも自分。
中2までは親の言うことは絶対に正しいと思っていたから、母親に依存しすぎていたのかな。
当時かなり完璧主義者で、初めから完璧にできないとすべてやる気を無くすやっかいな性格だったせいもあるなと自分でも思います。
あと若干の潔癖症でした。暇さえあるとよく手を洗っていたなぁと思います。
不登校になってから拍車がかかったような気もしますが笑
精神病んでたんかもしれません。
話が脱線しましたが、そんなこんなで中学校デビューは果たすことができず
逆に籠るようになっていってしまいました。。
タイムスリップしたい。。