小5~中3まで5年間不登校だった30代女の記録

小5~中3まで5年間不登校だったアラサー主婦の日記です

中学からは、行かなければ...

今回の記事は、私の過去の一番核となる部分なので少々時間がかかりました。

 

ブログを書いていて思ったのですが、元不登校児のブログがなぜ少ないか分かった気がします。

トラウマや辛い過去を思い出すのは、想像よりも過酷な作業でした。

 

メンタル的に安定している時期、または過去に囚われて前に進めず、気持ちを整理したいときじゃないと更新は難しいなぁと感じました。

なので、のそのそ書いていこうと思います。

 

本題に入りますが

小5~6まで不登校をしていると、みんなより勉強や経験が遅れていることに焦りが生まれてきます。

本当は行かなくちゃいけない...友達とも会いたい...そんなことを毎日思いながら

漠然と中学からは絶対に行こうと頭の中で思っていました。

 

でも、母親になんて言えば良いか分からなかったのと、

本当に行けるか自信がなかったため入学式ギリギリにしか言えなかった気がします。(10年以上前のことなので、記憶が曖昧ですいません)

 

夜はいつも母親と犬の散歩をしていたんですが、その帰り道に、

意を決して「中学からは行こうと思う」とぽつりと言いました。すると母は

 

「は?何でもっと早く言わなかったの?」

 

制服も準備していないし、時間が足りない、どうせ行ってもしょうがない...小学校行けなかった奴が中学に行けるはずがない。

とまあ、とにかくボロカス言われました。

 

母は応援してくれる、喜んでくれるとばかり思っていたので、

悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。

「よく決心したね^^」とか「中学からは頑張って行こうね!」って言って欲しかった。

そのとき私はこう思いました。

 

(なぜ、普通の母親のように学校へ行くことを喜んでくれないの?)

 

喧嘩して、行ける自信をすっかり失ってしまいました。

追い打ちで当時仲良かった子に、「おこめちゃん、中学の入学前説明会なんで来なかったの?」

と言われ、入学前の説明会があるのも教えてもらっていなかったことを知るのです。

 

ここで私の中で何かがプツッと切れて、怒りが爆発。

せっかく、みんなの輪に戻れるかもしれないチャンスだったのに...

 

この日を境に母親への信用を失ってしまい、毎日口論するようになってしまいました。

 

母親の言葉が私の人生で最大のトラウマ。

 

この日の出来事は高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、定期的にフラッシュバックするようになりました。

他人が聞くと、そんなことどうでもよいことなのかもしれないですが

恥ずかしながら、何十年経ってもこの事を根にもってしまっています笑

 

感受性が強い時期に言われた言葉っていうのは結構覚えてるものなんですかね。

 

今思うと別に入学式行けなくても途中から行けば良いじゃんって

保健室登校とかもあるし、別の中学に転校させてもらうという手もある。(これは却下されたのですが)

 

大人になった今は、ああ言ってやれば良かった、こうすれば良かった...の無限ループです。

 

私は人生で後悔する時間に何時間費やしているのだろうかと、よく思います。

 

行けなかったのは自分のせいだし、その言葉に反論できなかったのも自分。

 

中2までは親の言うことは絶対に正しいと思っていたから、母親に依存しすぎていたのかな。

 

当時かなり完璧主義者で、初めから完璧にできないとすべてやる気を無くすやっかいな性格だったせいもあるなと自分でも思います。

 

あと若干の潔癖症でした。暇さえあるとよく手を洗っていたなぁと思います。

不登校になってから拍車がかかったような気もしますが笑

 精神病んでたんかもしれません。

 

話が脱線しましたが、そんなこんなで中学校デビューは果たすことができず

逆に籠るようになっていってしまいました。。

 

タイムスリップしたい。。

小・中で不登校になるデメリット

ここで、不登校になるデメリットを書きたいと思います。

デメリットというか、こういうときに嫌だったり困るなぁと思ったことですね。

あくまで全て私の主観です。

 

不登校なる期間は短い方が楽で、年齢は高くなるほど不利になるかと思います。

小・中学校までは義務教育なので一日も出席してなくても卒業できます。(行ける高校は限られてきますが

小学校の勉強も大人になると簡単に解けますし。

小・中不登校より、高校とか大学中退すると履歴書に書かないといけないので厄介な気がします。

 

ちなみに私はほとんどの学力中1止まりです。

sin,cos,tanとか言われると凄くあわあわしちゃいます。

まあ、そんな場面滅多にないですが。

 

話がちょっと逸れちゃったので本題に戻しますね。

 

〇私が小・中行かなかったことで後悔してること

 

・地元に友達がいなくなる、結婚式に小・中学の友達を呼べない。

・成人式や同窓会に行けなくなる。

・頑張らないと良い大学に行けない。

・学歴・青春コンプレックスに陥りやすくなる。

・スポーツをしていないので運動不足になりがち

・PCばっかりやっていたので視力がガタ落ちした。

 

うーん、まあこれぐらいですね。

箇条書きにするとなんだこんなもんかって感じもします。

今はもう過ぎたことだし、しょうがないと何回も割り切って考えようとしますが、なかなかうまくいかずに、小一時間ズーンとしてることがよくあります。

 

とくに生理前の情緒不安定なときとか暇なときに思い出したりして苦しんでます。

月経前不快気分障害(PMDD)というやつなんでしょうね^^;

 

私の姉は普通に学校行っていたので、地元の子と気軽に遊んだりしてる姉と自分を比較して、勝手によく凹んでいました。

なぜ私だけ行かなくなってしまったんだろうなぁ...と。

 

あ、また話がそれちゃってすみません。

小・中不登校で私が困っていることは上記ぐらいです。

 

ちなみに小1~中3まで一度も行っていない高校の友達がいるのですが

その子は凄い社交的で、ピースボードで世界一周とか社会人サークル入って旅行とか行ったり活動的に動いてます。

結局はその人次第だよなぁって、現実突きつけられました笑

 

私も何度かオフ会に行ってみたり、社会人サークルに参加してみたりしましたが

そういう所ってマルチ多かったりするんで結局友達は作れず(実際ア〇ウェイとかマル〇の勧誘に何度かあった)

やはり学校は友達や思い出を作るところだったんだなぁって思いました。

 

私の母親はこれを真っ向から否定するタイプの人間です。

そろそろ母親のことを書いていきたいと思います。

 

母は持論の押しつけが強い方です。

自分のトラウマの部分になるので、どうしても書くのを後回しにしてしまいます。

書いてる今も若干しんどくなってきたので、今回はこの辺で^^

 

不登校時代の過ごし方

不登校時代どのように過ごしていたかですが

 

母親は午前中は仕事をしていたので

家で一人、ずっとネットをしていました。

 

昼夜逆転することだけには厳しかったので

朝は普通に家族と一緒に起床→みんなを見送った後はひたすらネットサーフィン。

ちなみに、中学からは自分でイラストサイトを作って好きなアニメキャラの絵など描いて、アップしていました。

 

正午、母が帰ってきて、お昼を食べたらその後は一日中母の運転でドライブ。

 

本屋、おもちゃ屋、ゲームセンター、ペットショップ。。

一通り巡ったら、家に帰って家族とご飯を食べて寝る。

という暮らしを約5年間続けていました。

 

この世界は母と二人だけなんだろうかと思うほど、ずっと二人で過ごしていました。

 

今後、この時間の過ごし方については激しく後悔するのですが

当時はそうするしか出来ませんでした。

 

親からは、私が再び学校へ行こうと思うまで見守ると決めていたらしく

学校へ行けと言われたことはほとんどありませんでした。

 

姉も、父も私に偏見を持たずに優しく接していてくれていたのでその部分は今でも本当に感謝しています。

 

でも私は才能がある訳でもないし、努力家でもなかったので、

世間のレールから外れることの厳しさをこの時は知るよしもありませんでした。

 

自分に子供が生まれたら、不登校にならずに勉強して良い大学に入って欲しいなぁとも思ってしまいます^^;

でも、自分ができていなかったから強制はできないし、

子供が選択したなら、険しい道になりますがやっぱり尊重してあげると思います。

そして、私の経験も含めてしっかりサポートしていきたい。

 

中学になってからは学校復帰への試みますが、それまた別記事で。

不登校になった理由

私が不登校になった理由はいじめなどではありませんでした。

友達も普通にいたし、運動も好きでした。

 

ではなぜ不登校になったのか…当時、自分でも親に上手く説明できませんでしたが、大人になった今はこう思います。

「学校」ってシステムに合ってなかったんだなって

 

大人になって就活・転職などを経験して、さらにそう思うようになりました。

会社が合わなくて鬱になる感覚と似てるのではないでしょうか

 

社会人なら、合わなければ転職等することができますが

小・中学校となるとそう簡単にはいきません。

 

そもそも、全員大手に入ってサラリーマンをする訳ではないのですから

今の教育には無理があると思うのです。

まだ自我が芽生える前くらいなら何となく通えるんでしょうが…

 

不登校になる年齢に中学2年生ぐらいが多いのは、丁度それぐらいに自我や、自分がしていることに疑問が生まれるからだと思います。

 

私が思う、不登校を減らす一番良い方法は

中学から高校のように「選択する学校を増やすこと」かと思います。

小学校から選べたらもっといいな。せめて高学年からとかでも、、

 

とはいえ、今現時点で悩んでる親御さんにと欲しいですよね。

今から日本の教育システム直すとか無理な話なので。

 

不登校になった原因がわからないから苦しい。とても気持ちよく分かります。

 

でも、自分、(もしくは子供)が日本の教育システムに合わなかったかったんだって

認めるところから、まずはスタートしていた方が良いと思うんですよね。

 

良い大学に入って大手に入ることが幸せではないということを認める。

普通の人生を歩み、幸せに暮らして欲しい親の気持ちは痛いほどわかります。

 

学校というシステムに合わず、今後人と違った人生を歩んで苦戦するという点では悲観してもある意味しょうがないかもしれません。

 

でも、ある程度悲しみ終わったら もう一度よく考えてみて欲しいのです。

その子にとって、何が一番幸せか?

 

私にとって、合わない学校に無理やり行かせるのは

職種が合わなくて、毎日胃を痛めて電車に飛び込んで死にたいと思ってる人に無理やり会社に行かせるのとほぼ変わらないと思います。

 

ましてや自我は芽生えたものの、まだ説明する能力が乏しい子供になぜ学校に行きたくないのか問い詰めるのも、かわいそうですよね。

理由を聞くのは良いとして、上手く説明できないから怒るのは子供としても辛いところ。

語彙力も何かに例える経験も乏しいので。

大人になってやっと説明できるようになるようなことを、当時の自分だったら絶対説明できないと思います。

 

不登校の子の親にできることは学校に合わなかった子供のことを全力で受け入れることが大切なんだと思います。

 

何が何でも学校がすべて!行った方がお前のためだ!

社会のレールから外れたら、二度と元には戻れないぞ!

 

と言って引きずってでも行かせる親はいると思いますが

それは学校に合っていない子供を全否定するということになります。

親に全否定されることは、子供にとっては一番ショックですね。

不登校の子は、頑張って頑張って学校に行きつつも、もう限界が来て力尽きている。

 

私は学校に行けない自分を受け入れてもらったとき、親子の絆を感じました。

でもお母さんも自分の考えを捨てるのは容易ではないと思います。

そこは完璧に理解しなくても、まずは無理に行かせず休ませてあげるだけで良いと思います。

 

学校は合わない、家にも居場所がないとすると、もうそこには絶望しか生まれないでしょう。

会社は合わない、妻とは離婚寸前のサラリーマンみたいなもんです。

 

とりあえず鬱になったら、会社を休職か辞めて療養しますよね。

不登校も同じなんですよね。

 

じゃあどれぐらい休めば気が済むのか?

ここが一番難しいし、休んでるときの過ごし方で今後の人生が大きく変わるのかと思います。

 

色々書いてますが、私は学校へ行けなかったことを大変悔いています。

やはり小5~中3行かないというのは、失うものがあるからです。

 

長くなるのでそれはまた別の記事で書こうと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

おこめ

はじめに

初めまして、おこめと申します。

ブログのタイトルにある通り私は元不登校児です。

年齢は2018年4月で30歳になりました。

 

記事を読まれる前に、私がどのような人物なのか、軽く自己紹介しておきます。

 

不登校になったのは小学校5年生の8月。

山の学習という初めてのお泊りイベント目前に不登校生活をスタート

 

・小5~中3まで5年間不登校

・高校はデザインの専門学校へ (皆勤賞だった

・大学は地元のFランデザイン学科へ

 就職編については長くなるので別記事へ…

 

なんでこのブログを書く気になったかというと

文章にすることによってある程度自分の考えが整理できると思ったからです。

あとは、不登校系のことを検索していると、どうも不登校だった本人よりも

親御さんの方がメインな印象を受けたからです。

 

それを読んでて、私の親は他の親と考え方がかなり違う気がしたので

不登校だった時のこと以外にも、親・恋愛・仕事のことなど色々書いていけたら良いなと思います。

 

ちなみに当時私が通っていた小学校と中学校で長期の不登校

私ともう一人の男の子の二人だけでしたので、かなり少数派でした。

年々増えているとも聞いておりますが、不登校の人生は苦難が多い上に理解者も少ないですよね。

 

不登校になる原因は人それぞれですが、どうすれば不登校を生み出さない世の中になるのか、なかなか根深い問題なので考えていきたいと思います。